戦後補償運動、これからがいよいよ本番。ひるまず、くじけず闘い続けよう!
福田昭典
1) 勝ったり負けたりが繰り返される中国人強制連行裁判
まずは、戦後補償運動の現状を、昨年来の戦後補償裁判の流れから確認していきたい。
2004年3月23日の札幌地裁での中国人強制連行裁判は、中国人原告側が敗訴した。しかし、直後の新潟地裁における中国人強制連行裁判では、裁判所(片野悟好裁判長)が、被告の国と使役企業(現在のリンコーコーポレーション)の安全配慮義務違反を認定し、国と企業の双方に、原告一人につき800万円の損害賠償を命じるという画期的な勝訴判決を得た。国家無答責については「人間性を無視した公権力の行使で損害が生じた場合まで、日本国憲法や国家賠償法の施行前だというだけで、責任を追及できないという解釈・運用は著しく正義・公平に反する」と判示し、安全配慮義務違反にかかわる消滅時効については、国が「外務省報告書」を焼却しながら、その他方で中国人使役は契約に基づくものであると強弁しつづけてきたという「態度は非常に不誠実であるばかりか、実質的に提訴を妨害したものだ。さらに原告らが長期間、事実上権利行使できない状態にあったことも考慮すれば、国が消滅時効を援用することは、社会的に許容された限界を著しく逸脱する」と断じた。新潟判決は、「正義・公平」の観点から初めて国に賠償支払いを命じた判決であった。
5月24日には、その一審判決において、三井鉱山への賠償請求が認められた「中国人強制連行福岡訴訟控訴審」の福岡高裁判決が予定されていた。控訴人側勝訴の判決が下されるのではないかという事前予想が広まっていただけに、期待が高まった。しかし、その期待は裏切られ、判決では中国人被害者の賠償請求は悉く退けられた。裁判所を説得することの困難さをひしひしと感じながら、7月9日の「中国人強制連行西松建設裁判」の控訴審・広島高裁判決を迎えた。
2年前の2002年7月9日の広島地裁判決では、中国人強制連行裁判で、初めて被告使役企業の安全配慮義務違反の認定を勝ち取ることができたが、安全配慮義務違反については消滅時効をもって、同時に認定された不法行為責任については除斥期間の適用をもって、中国人側の賠償請求権は棄却されてしまった。広島高裁民事第二部は、2003年7月15日、控訴審第三回口頭弁論で職権による和解を勧告した。しかしながら、西松建設は和解協議の場で裁判所の説得に一貫して背を向け、和解を不調に終わらせてしまった。このような経緯のなかで7月9日の判決を迎えた。
広島高裁判決は、不法行為責任に基づく賠償請求権については再び、除斥期間の適用をもって棄却したが、西松建設の安全配慮義務違反については、再び明確に認定し、「被控訴人に消滅時効を援用して、損害賠償義務を免れさせることは、著しく正義に反し、条理に悖るものというべきである」とし、西松建設に対し、控訴人側の賠償請求額そのままの支払いを命じたのである。戦後補償裁判全体から見ても、高等裁判所における初めての、実に歴史的な意義深い勝訴判決を私たちは得た。
また、昨年9月29日、大阪高裁において、京都大江山訴訟の和解が成立した。被告・日本冶金工業が、中国人原告6人に対し、合計2100万円の解決金を支払うことで和解したのである。中国人強制連行訴訟では、花岡和解につぐものであった。
2)三菱広島・韓国人元徴用工被爆者裁判控訴審
広島高裁において一部勝訴 ― 国家無答責について画期的判断
そして、本年1月19日、三菱広島・韓国人元徴用工被爆者裁判の控訴審・広島高裁判決が下された。この裁判は戦時中、三菱広島に強制連行され、被爆した韓国人元徴用工およびその遺族40人が1995年12月、国と三菱重工業などに慰謝料や未払い賃金等の支払いを求めて提訴。一審の広島地裁では、1999年3月25日、原告全面敗訴の判決が下され、広島高裁において控訴審が闘われていた。
広島高裁は三菱への請求は棄却したものの、国が被爆者援護法の運用において、「誤った法律解釈に基づいて402号通達を作成・発出し、これに従った行政実務を指示したことは、法律を忠実に解釈すべき職務上の基本的な義務に違反した行為と言うべきであり、担当者には過失があったものと認められる」とし、地裁判決を逆転させ、国に対し、韓国人元徴用工被爆者への慰謝料の支払いを命じた(402号通達とは、被爆者がひとたび日本から出国すれば、被爆者たる地位を喪失させ、各種の給付を受けることを失権させてしまうとういう行政通達[1974・6・17
])。予想していなかっただけに、大変驚ろかされた判決であった。
強制連行・強制労働の国と企業の責任について、判決は一部認定しながらも、1965年の日韓請求権協定、消滅時効、除斥期間の適用をもって原告側の賠償請求を棄却した。裁判所は、韓国人の徴用と、徴用された韓国人の生活と労働の内実が、多少の問題があったとしても、それは著しい人権侵害にはあたらず、判決が除斥期間の適用制限の条件とするところの「被害が重大で深刻で、救済の必要性が高度に存在すること」にあたらないという判断をしてしまっている。
しかしながらである! この裁判所の国家無答責についての法的判断は、出色のできばえである。正義・公平論にのみ判断基準をおくのではなく、民法起草段階からの歴史をしっかり吟味した上で、裁判所が優れた判断を下したように私には思える。判決は、“国家無答責の法理”について次のように判示している。
「実証法上、国家無答責といった法理が、明文で規定されていたわけではない。また権力作用に伴う行為による損害について、国の賠償責任を否定する法規も、反対に現在の国家賠償法のようにこれを認める旨の特別な法規も存在しなかった。そして、行政裁判所では、損害賠償請求訴訟を受理しないことが、行政裁判法の明文で定められていたことから、問題は司法裁判所において、このような権力作用に伴う行為に関する損害賠償請求が、受容されるかどうかの判断にかかることになった。しかるに、上記の通り、このような損害賠償については、肯定、否定、いずれの法規も存在しなかったのだから、その判断は、このような行為について、民法の不法行為規定の適用を認めうるかどうかによるところとなり、司法裁判所は、その多くの裁判例において、これを否定して、損害賠償を棄却する判断を重ねていたということなのである。したがって、実定法上、国に損害賠償責任が存在しないことが確定していたわけではなく、単に損害賠償請求を実現する法的な手段が認められていなかったにすぎないものということができる。・・・当裁判所は、このような意味合いにおいて、本件強制連行にかかる国の行為に関して民法の不法行為規定の適用が認められるかどうかを判断すべきものと考える。そして行政裁判所が廃止されて、司法裁判所に一元化されたことや、国家賠償法のような特別法が存在しない状態においては、民法の不法行為規定は、公務員の公権力の行使に伴う不法行為をも含めて不法行為に関する一般法ともいえる存在と解すべきこと、明治憲法下においても限定された範囲内ではあっても、個人の尊厳は尊重されていたものであり、少なくともこれを否定することは許されないこと、そして国家無答責という考え方に一般的な正当性を認めることができないこと等からすれば、本件強制連行にかかる国の不法行為については、民法に基づいて☆不法行為による損害賠償責任が認められるべきものと判断する。よって、被控訴人国の国家無答責を内容とする上記主張は採用できない」。
なんと、胸のつかえが、一気に下がるような判断であろうか! 戦後補償裁判もようやくにして、国家無答責の法理という、わけの分らない過去の遺物を打ち砕く法的判断を得たということを実感しないわけにはいかない。裁判闘争は積み重ねである。判決を読んでみると、「被爆者法の定めからは、被爆者健康手帳の交付を受けて、被爆者たる地位を得た者が、日本から出国することにより、その地位を失うという402号通達のような解釈を導き出すことはできないのであって、同通達は法律の解釈を誤り、その定めに反した違法な内容の通達であり、それに従った行政実務の取扱いもまた違法といわざるを得ない」と判示し、国側に慰謝料の支払いを命じた今回の判決もまた、1970年代の韓国人被爆者・孫振斗氏の福岡地裁、福岡高裁、そして最高裁における裁判闘争、さらに1990年代の在韓被爆者・郭貴勲氏の大阪地裁、大阪高裁における裁判闘争の基礎の上に成り立っていることがよく理解できる。そしてまた、今回の広島三菱韓国人徴用工裁判判決も、今後の戦後補償裁判の基礎となるのは間違いないところであろう。
3)「慰安婦」裁判の現段階 − 除斥の起算点について
前述したように戦後補償裁判の中でも強制連行裁判では、昨年「中国人強制連行・西松建設裁判」が広島高裁での控訴審判決で全面勝訴を勝ち取り、同じく広島高裁では、三菱広島韓国人元徴用工被爆者裁判の控訴審判決でも一部勝訴が勝ち取られるなど、高裁レヴェルでも勝訴判決を具体的に展望できるようになってきた。しかしながら、戦後補償裁判の大きな柱であるいわゆる「慰安婦」裁判では、相変わらず原告敗訴が続いている。
昨年3月30日、オランダ人元捕虜・民間人抑留者裁判が最高裁で上告棄却・上告受理棄却の決定が下され敗訴が確定。12月15日には、東京高裁で中国人「慰安婦」裁判(第一次訴訟)の控訴審判決が下された。事実認定は得ることができたが、賠償請求は悉く棄却されるという敗訴判決であった。「慰安婦」裁判の勝利への道のりは遠いように見える。法的に言えば、“国家無答責の法理”と“除斥”の壁は、高くかつ厚いようにも見える。しかし、その地下深く地殻変動が起きている。次第にその鳴動が誰の耳にも聞こえてくるかも知れない。
(イ)筑豊じん肺訴訟最高裁判決(2004年4月27日)について
広島・三菱韓国人元徴用工被爆者裁判の広島高裁判決で、国家無答責の法理は木っ端微塵に粉砕された。そして昨年は、最高裁判所そのものが、除斥期間についての判断を新たにした。その一つが、昨年4月27日の筑豊じん肺訴訟上告審判決である。じん肺の病症の特徴は、離職・退職等により粉じんを浴びる職場から離脱した後においても、症状が進行すること(進行性)、いったん発病すると元の状態に戻す治療方法がないこと(不可逆性)にあり、「発病までの期間は、粉じんへの暴露を開始してから、最短で2・3年、通常は5年から10年以上、長い場合で30年とされ、しばしば遅発性であって、粉じんへの暴露が終わった後、相当長期間経過後に発病することも少なくない」。
このようなじん肺を起因せしめた国家責任を問う裁判の上告審において、最高裁(第三小法廷)は、民法724条後段の20年の除斥期間の起算点について、初めての判断を下した。従来、除斥期間の起算点となる「不法行為ノ時」とは、多分に加害行為を指していたと言えるが、その加害行為時を除斥の起算点とすれば、炭鉱を離職後、提訴までに20年以上を経過している多くの原告被害者たちの救済の道を最高裁が閉じることとなる。最高裁はどのような判断をしたであろうか。
原審福岡高裁が除斥期間の起算点を「『不法行為ノ時』とは、『不法行為の構成要件が充足したとき』すなわち『加害行為があり、それによる損害で客観的に(被害の認識に関係なく)一部でも発生したとき』と解すべきである」としたところを最高裁は、「当該損害の全部または一部が発生した時が除斥期間の起算点となると解すべきである。」とした。そして、「このような場合に損害の発生を待たずに除斥期間の進行を認めることは被害者にとって著しく酷であるし、また加害者としても、自己の行為により生じ得る損害の性質からみて、相当の期間が経過した後に被害者が現れて、損害賠償の請求を受けることを予期すべきであると考えられるからである。」と判示したのである。被害者を救済しなければと判断すれば、法律は解釈のしようがあるということを最高裁判決は示しているのである。
(ロ)関西水俣病訴訟最高裁判決(2004年10月15日)について
さらに、最高裁第二小法廷は、昨年の10月15日、関西水俣病訴訟上告審において、筑豊じん肺訴訟と同様の判決を下している。この訴訟は、関西在住の水俣病患者が、国と県が水俣病の発生及び、被害拡大の防止のために規制制限を行使することを怠ったとして、国家賠償法に基づく損害賠償を請求する訴訟である。原審の大阪高等裁判所は国と県に対し、賠償請求の支払いを命じ、不服とする国と県が上告していた。ここでも焦点のひとつが除斥の起算点であった。
判決は、筑豊じん肺訴訟判決と同じような論理展開をもって、除斥起算点について次のように判示している。「民法724条の後段の所定の除斥期間は、『不法行為ノ時ヨリ20年』と規定されており、加害行為が行われた時に損害が発生する不法行為の場合には、加害行為の時がその起算点になると考えられる。しかし、身体に蓄積する物質が原因で人の健康が害されることによる損害や、一定の潜伏期間が経過した後に症状が現れる疾病による損害のように、当該不法行為により発生する損害の性質上、加害行為が終了してから相当の期間が経過した後に損害が発生する場合には、当該損害の全部又は一部が発生したときが除斥期間の起算点となると解するのが相当である。このような場合に損害の発生を待たずに除斥期間の進行を認めることは、被害者にとって著しく酷であるだけでなく、加害者としても、自己の行為により生じ得る損害の性質からみて相当の期間が経過した後に損害が発生し、被害者から損害賠償の請求を受けることがあることを予期すべきであると考えられるからである。原審の判断は、以上の趣旨を言うものとして是認することができる。」
また判決は「上告人らは遅くとも昭和34年11月末頃までには、水俣病の原因物質がある種の有機水銀化合物であること、その排水源がチッソ工場のアセトアルデヒト製造施設であることを高度の蓋然性をもって認識しうる状況にあった」のであって、「手続きに要する期間を考慮に入れても、同年12月末には、主務大臣として定められるべき通商産業大臣において、上記規制権限を行使して、チッソに対し水俣工場のアセトアルデヒド製造施設からの工場排水についての処理方法の改善、当該施設の使用の一時停止その他必要な措置を執ることを命ずることが可能であ」り、従って、「上告人らが、昭和35年1月以降、チッソ水俣工場の排水に関し適正権限を行使しなかったことが、違法であり、上告人らは、同月以降に水俣湾又はその周辺海域の魚介類を摂取して水俣病となった者および健康被害の拡大があった者に対して国家賠償法1条1項による損害賠償責任を負うとした原審の判断は、後述のとおり、正当として是認することができる」と判示した。
そして、除斥期間の起算点の具体性について判決は、「本件患者のそれぞれが水俣湾周辺地域から、他の地域へ転居した時点が各自についての加害行為の終了したときであるが、水俣病患者のなかには潜伏期間のあるいわゆる遅発性水俣病が存在すること、遅発性水俣病の患者においては、水俣湾又はその周辺海域の魚介類の摂取を中止してから4年以内に水俣病の症状が客観的に現れるなど、原審の認定した事実関係の下では、上記転居から遅くとも4年を経過した時点が本件における除斥期間の起算点となるとした原審の判断も、是認し得るということができる」とした。原審大阪高裁の「遅発性水俣病患者においては、・・・魚介類の摂取を中止してから4年以内に客観的に現れる」という判断は、統計的事実に基づくものであって、おおよそ医学的根拠に裏打ちされたものではないように思われるが、そのような統計的事実に基づく裁判所の判断により、提訴日昭和60年10月14日から遡ること20年前の昭和40年10月14日以降に水俣湾周辺地域から転居した患者が救済されることになった。(つけくわえるならば最高裁は、大阪高裁判決が昭和40年10月以前の6月に転居した患者をも救済したことについても認容している。)
筑豊じん肺訴訟及び関西水俣病訴訟の最高裁判決の要は、最高裁判所自らが、救われなければならないと判断した被害者に対しては、除斥期間の機械的適用を排除すべきで、柔軟な判断をすべしと率先垂範したということにある。しかしながら、このような判決の一方で、最高裁が「慰安婦」裁判の上告審において、上告棄却の決定を積み重ねているのも事実であって、これらの帳合を下級審がどのように判断するかが最大の問題であるのかもしれない。
4)戦後補償をとりまく政治・経済状況
戦後補償運動をとりまく政治・経済状況はどのようなものであろうか。小泉政権のアメリカ一極追随、アジア軽視の政策はますます先鋭化している。なかんずく、小泉の対中国外交は、1972年の国交正常化前の自民党政府の中国敵視政策と相通じるものがあるように見える。日本外交があたかも40年前に一気にタイムスリップしたかのようである。少なくとも中国政府はそのように受けとめているはずである。
去る1月25日、ベルリンで行われたアウシュビッツ強制収容所解放60年を記念するドイツ政府主催の記念式典で、シュレーダー首相が、アウシュビッツ収容所へ続く道の写真を背景に「ネオナチスの不快な挑発と、常に繰り返されるナチスの犯罪を瑣末なものにしようとする、新たな試みに向かって断固として対抗することは、すべての民主主義者の共通の義務であります。民主主義と寛容の敵に向かっては一切の寛容があってはならないのです。」「忘れてしまおうとすること、記憶を抑圧してしまおうとすることの誘惑が、大変に大きなものであることは確かです。しかし私たちはそれに負けてしまうことはないでしょう。」と訴える映像を見るにつけ、羽織袴姿でこそこそと靖国参拝をする小泉首相は憐れにも思えてくる。哀しいかな、この男を私たちは首相にいただいているのだということを実感しないわけにはいかない。
アジアに背を向け、ひたすらにブッシュの火遊びにお付き合いする小泉首相ではあるが、現実は彼の目線と正反対の方向に進んでいる。財務省が1月26日に発表した2004年の貿易統計速報によれば、輸出入合計の貿易額でみると、香港を含む対中国貿易額が過去最高の22兆2005億円となり、日米貿易を上回った。さらに、この数字には表れないが、日本から部品を輸出し、中国で最終製品を組み立て世界各国に送り出すという「輸出」も急増している。
対中国貿易額は、日本の貿易総額110兆3551億円の20%を超える。さらに付け加えるならば、対アジア貿易総額は51兆8545億円で、日本の貿易総額に占める割合は47%となる。ところが、このような現実を前にしてもなお、小泉首相はイデオロギーに殉じようとする政策を変更しようとはしない。ただひたすら、ブッシュに追随する道のみが国益に通じると、小泉首相は思い込んでいるのだろうか。私たちが就任以来一度も中国を訪問できない首相をいただいている一方で、世界各国の首脳が多数の財界人を引き連れて中国を訪問している。昨年10月初旬、フランスのシラク大統領は、52名の財界人を引き連れて訪中。政府や企業が40億ユーロを上回る対中投資案件を締結した。12月4日から6日までは、イタリアのキャンピ大統領が、190人の財界人を引き連れて訪中し、9億ユーロの成約を果たした。入れ替わりに12月6日から3日間、ドイツのシュレーダー首相が、なんとドイツの企業トップ300人を随行して訪中。シュレーダー首相は大連を訪れ、独フォルクスワーゲン社が、大連市で「第一汽車」と合弁会社を設立し、エンジン工場を設立する契約調印の場に立ち会う。中国航空機輸出入集団がエアバス23機を購入することも決まった。また独シーメンスの中国合弁会社が、鉄道省から電気機関車180台を受注した。なるほど2003年まで、2004年の中国の貿易統計によると、11年連続最大の貿易相手国であった日本が3位に転落し、2003年3位だったEUが初めて首位となるのには理があるのである。
日本の財界人は、小泉首相に「私を中国に連れてって」などとは言わないが、中国での日系企業の商売に大きな障害となる“靖国参拝”はやめて欲しいとはっきりと主張しはじめた。既に経済同友会の北城恪太郎代表幹事(日本IBM会長)が記者会見で「小泉総理が靖国神社に参拝することで、日本に対する否定的な見方、ひいては日本企業の活動にも悪い影響が出るということが懸念される」と語り、また小泉首相に近い財界人である小林陽太郎氏(冨士ゼロックス会長)も、小泉の靖国神社参拝に強い懸念を表明している。中国への莫大な投資を果たし、今後もさらなる投資を予定している企業家にとって、小泉首相の靖国神社参拝などとんでもない話である。小泉首相が今年正月に靖国神社を参拝できなかった理由も明らかに存在するのである。
(5)私たちの今後の課題
日本社会は今、戦後補償運動が希求するものとは逆の方向に猛烈な勢いで進んでいる。日本が進もうとしている国家主義的で排外主義的な方向は、かつて日本がたどった道に通じる。このように右傾化する政治的・社会的な状況を前にして、戦後補償運動に関わる者として、忸怩たる思いにかられる。今まで戦後補償運動は何かなしえたのか。なぜこのような状況に有効に対応できないのかと考え込み、時として巨大な敗北感に襲われるのは戦後補償運動にかかわる者の共通するところではないか。
結果として、人々は連日連夜、マスメディアによる民族排外主義煽動にさらされることになってしまっている。“歴史に学ぶ”ことをしようとしないマスメディアの節操のなさに、私は驚愕させられる。国家権力による報道統制とマスメディア自身による自己規制が強化され、マスメディアの報道ぶりは1930年代のそれと同質になりつつあると言っても過言ではない。しかし、逆説的に言えば、今がまさに“歴史に学ぶ”ことが重要とされている時でもあるのだ。言い換えれば、今ほど戦後補償運動の広がりと質的充実が求められている時はないのである。近代以降の日本のアジア人蔑視の思想は奥深い。今の日本の政治・思想状況は、現在にいたるもなお他民族を蔑視し、排外する思想が絶えることなく日本社会に存続しつづけていることの反映である。今本質的に私たちに問われるべきことは、日本社会が侵略と植民地支配の思想と意識的に闘いつづける歴史を積み重ねてはいないということなのだろう。
そういう意味では戦後補償運動は、戦後運動史のなかでは特筆されるべき地平に立つ。しかしながら、歴史に刻印するほどの成果をまだ得るには至っていないのである。
まさに苦闘が展開されている。しかしその苦闘のなかにも光明が見え始めている。小泉首相がアジアに背を向けようとも、現実は彼の思いを打ち砕いている。また他方で、裁判闘争における成果は着実に積み重ねられている。戦後補償運動、今が一番の踏ん張りどころ。これからが正念場である。今後はさらに財界人らをはじめとする各界各層の人々とも結びあえるような包容力と構想力をもって、ひるまず、くじけず闘い続けよう。